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目安時間 19分
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はじめまして!

ともいまと申します。

ここでは私の英語学習ヒストリーについて紹介します。

 

 

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一番最初の英語との出会い

3歳から小学5年生まで近所の英会話スクールに通っていました。

 

きっかけは覚えていません(笑)

 

恐らく習い事の一つだったと思います。

 

この時は完全に遊び感覚で真剣に英語学習に取り組んでいませんでした。

 

もちろん使えるフレーズも簡単なものばかり(;^ω^)

 

でもその先生の家にお友達のアメリカ人が遊びに来る事があり、
よく私たちの教室にも顔を出してくれていたのですが、
恥ずかしくてほとんど会話出来ませんでした(*ノωノ)

 

 

結局、何も身に付かないまま中学に入学しました。

 

 

目指したい道を見つけた

 

私が通っていた中学では希望者だけですが、

夏休みを利用して海外語学研修がありました。

 

期間は20日間でその間はホームステイをするプログラムです。

 

私は、
「学校の友達と海外に行ける!ラッキー♪」

 

ぐらいの単純な気持ちで研修に参加しました。

 

現地に行くまでに、ホストファミリーの人と手紙でやり取りをして
ワクワクしながらその日を待ちました。

 

 

待ちに待った出発当日。

 

 

空港で先生たちと待ち合わせをし、
書類などの最終確認をしていざ飛行機へ!

 

実はこの時が私にとって初めての海外でした。

期待に胸ふくらませ、現地に到着。

 

そこには見た事ない景色が広がっていました!

目に映るものすべてが新鮮でずっとテンションが上がりっぱなしです(笑)

 

友達からも

「ちょっと落ち着いたら?」と

呆れられました(;´∀`)

 

そして待ちに待ったホストファミリーと対面の日。

 

緊張と不安が入り乱れるなか、
会場でホストファミリーを探していました。

 

 

すると1人の女性と小学生の女の子に声をかけられ、

「あなたともいまだよね?
私たちが今日からオーストラリアでの家族だよ」

「この人達だ!」

 

嬉しさと恥ずかしさと緊張で何を話したのか覚えていません(笑)

 

しかも友達に最後挨拶する時間もなく
車に連れていかれました(:_;)

 

そこから約20日のホームステイが始まりました。

 

通常、ホストファミリーは受け入れ経験がある人が多いとのことなのですが、
私の場合は、私が受け入れるの始めただったみたいです。

 

なので、家族と言いながらもお客さんのように扱ってくれました♪

 

だけど楽しかったのは最初のころだけでした。

 

しだいに、言葉が伝わらないことにショックを受け始めます。

 

14歳なので仕方ない部分はあるかもしれませんが、、。

いつも電子辞書が手放せなかったです。

 

 

唯一私が言えた言葉は
「Yes」と「No」

この2文字だけでした。

 

それでも会話がしたかったので、私は必死に辞書で調べながら
自分が知っている文法も使いました。

 

彼らはそんな私の英語をなんとか理解しようと頑張ってくれていたのが
嬉しい反面、情けなかったです。

 

そして20日間が終了し帰国の日。

 

送迎は最初に迎えにきてくれたお母さんと娘さんでした。

 

 

最後にお母さんが言ってくれた言葉

 

「いつでも帰ってきていいのよ。
ここはともいまの家で、私たちはともいまの2つ目の家族なんだからね」

本当に嬉しかったです。

 

だけど私は、
「Thank you,mum」

 

しか言えませんでした。

 

別れたあと、寂しくて泣いてしまいましたが、
ある一つの事を心に誓いました。

 

 

「絶対にもう一度、ここに帰ってくる!
今度は自分の言いたい事を英語で言いたい!」

そう心に誓って日本に帰国。

家に帰りスーツケースを開け荷物を出していると、

いろんな所から手紙が出てきました。

 

どうやら娘さんが書いて隠したみたいでした。

 

内容は、
「ともいまが日本に帰って寂しい」
「次はいつ帰ってくるの?」
「大好きだよ、私のお姉ちゃん」

 

 

この手紙を読んでまた泣いてしまい、
改めて語学を勉強することと、

将来は英語を使った仕事がしたいと想うようになったのです。

 

 

この20日間が私の人生のターニングポイントとなりました。

 

 

英語を専門的に勉強したい

英語を専門にして勉強したいという気持ちから、
大学は外大を選びました。

 

しかし専攻はドイツ語・・。

 

なぜ英語でないのか?

 

 

答えは倍率と偏差値が届かなかったからです・・。

 

 

やはり外大の中でも英語を専門的に勉強出来る英米語学科は
一番人気が高いので、その分競争率も高くなりました。

 

 

私が目指した外大には他にスペイン語専攻と
国際コミュニケーションが学べる学部がありました。(当時)

 

国際コミュニケーションは英語は第二言語で
専攻がドイツ語・フランス語・中国語から選んで勉強する学部です。

 

私は他の言語にあまり興味はなかったのですが、
どうしてもその大学に行きたかったので、担任の先生に相談。

 

先生から、
「専攻は他の言語になるけど、英語が勉強出来ないわけではない。
お前の目的はこの大学に入る事だろ?」と言われ、
国際コミュニケーション学科を受験し合格しました。

 

 

実際英語の授業もきちんとあって(当たり前ですが(;^ω^))

ドイツ語の授業も面白かったので結果的に満足です。

 

また外大という特徴もあって、留学制度もかなり充実していましたし
提携大学が世界中に広がっていました。

 

私は留学に行きたかったので、合格した時から
すでにワクワクしていました!

 

だって留学先にオーストラリアももちろん入っていたし、
「海外の大学で勉強するのって楽しそう!」
と期待に胸ふくらませていました。

 

 

だけど実際は留学出来なかったです・・

 

 

なぜか?

 

理由は4つあります。

 

 

① 入学したのが短大で編入試験を考えていたから。

 

実は私が入学したのは短大だったんです。
(4年生大学には最後まで偏差値が届かなくて・・)

 

親からは4年生大学に編入することが条件で短大の入学金を
出してもらいました。

 

なので2年間は編入試験の勉強で忙しかったです。

 

 

 

② 編入後の授業が忙しすぎた

 

無事に編入試験をクリアし3年生になり、

これで留学準備が出来ると期待していました。

 

※補足:私が通った大学には本当にたくさんの留学制度がありました。
その中でも費用が安くまた単位認定もしてもらえる制度が一番人気で、
競争率が高かったです。

この制度を使うには試験・面接をパスしないと派遣してもらえませんでした。

しかし実際編入して単位認定の書類をもらうと・・

 

「(。´・ω・)ん?何かめっちゃ少なくない?」

 

しかも私だけではなく友達も全員!

 

慌ててみんなで学務課に行くと、
こう説明されました。

 

「ごめんね。大学の規則で認定出来る単位は最大で62単位までなんだ。」

 

 

それを聞いてみんな青ざめました。

 

実は編入者のほとんどが
短大卒業に必要な単位にプラス20程取って卒業していたからです。

 

3年になったとき、少しでも単位認定してほしかったから。

 

多くの場合、3年になったとき80単位以上取っている学生さんが多いと思いますが、
私は3年進級時に62単位しかなかった状態です。

 

なので3年生の一年間、
想像以上にハードな時間割で留学試験の準備する暇なんてなかったです( ;∀;)

 

 

 

③ 家の経済的に厳しい

 

親から、
「半年ぐらいの留学だったら費用は出せるけど、
1年の留学は厳しい」

と言われたことも理由の一つです。

 

 

 

④ 行きたいけど不安

 

留学に行きたい!
海外の大学で勉強してみたい!

そんな気持ちはあったものの、
実際向こうの大学で何を勉強したいのかわからなかったです。

 

留学を考えている友達はきちんと
向こうの大学で何を勉強したいのか明確に決め、
それに関連する授業を取ったりして準備していました。

「留学行ったとしても、私は何を勉強したいんだろう」

 

そんなモヤモヤを抱えていました。

 

また行きたいという気持ちはあったものの、
一人で海外に行く事に不安があり勇気が出なかったのです。

 

こうした理由から留学する事を目的で外大に入ったのに、
結局留学しないまま卒業しました。

 

 

そしてこの事を社会人になってから後悔するのです・・。

 

 

モヤモヤを抱えたまま社会人がスタート

 

私が新卒で入った会社は損害保険会社です。

そこで営業事務をしていました。

 

仕事は正直そこまで興味があったわけではないのですが、
幸い同期に恵まれみんなで勉強しながら資格試験を受けたり、
日々の業務を頑張っていました。

 

お給料・ボーナスもきちんともらえて
はたから見れば特に不自由ないように見えると思います。

 

ですが、私の心の中はモヤモヤしたままでした。

 

 

私の友達ほとんどが英語を使う仕事
もしくはワーキングホリデーを利用して卒業後に
海外に渡る人が多かったです。

 

 

そんな友人達をうらやましく見ていました。

 

 

「自分のやりたい事を自由に挑戦している。
いいな・・。うらやましい・・。

私も挑戦してみたい・・
けど不安だな・・」

 

 

そんな想いをずっと抱えていました。

 

転機となったきっかけが、
ニュージーランドに行っていた友達が誕生日に
メッセージカードを送ってくれたことです。

 

 

そこには、こんなことが書かれてありました。

「ともいまの人生。
ともいまの生きたいように生きなきゃもったいない!
だって人生何が起こるか分からないよ。

私も勢いでこっちに来たけど、
これでよかったのかな~って今でも悩むよ。

でもこの選択がよかったのかどうかは
あとからわかることだと思う。

あんまり考えすぎずに、ともいまらしくね♪」

 

このメッセージを読んで、

 

「やっぱり一生一回は留学行きたい!
英語を使う仕事がしたい!
もう一度、あのホストファミリーに会いたい!!」

 

 

そう思い、安定した仕事と会社を捨てて
私が本当にやりたい事を挑戦することに決めました。

 

 

留学に行ったのは30歳を過ぎてから

 

実は「やっぱり留学に行く!」と決めたのは、
24歳ぐらいなんですが、

実際に行ったのは30歳を過ぎてからです。

 

 

なぜ6年もタイムラグがあるのか?

 

 

それは私が25歳の時に「パニック障害」になったからです。

 

損害保険会社を退職したあと、
留学に行くまで英語を使う仕事がしたいと思い
外資系の貿易会社で貿易事務の仕事をしました。

 

そこにいた上司からパワハラを受けてなってしまいました。

 

精神科で治療中の間は、
留学に行く事が出来ませんでした。

病気を克服出来たのが30歳。

 

 

また留学費用を貯めなおし約1年半後、

念願だったオーストラリア シドニーへの語学留学を果たします。

そして1年半の間、シドニーで留学生活を思いっきり楽しみました♪

 

 

このブログで伝えたいこと

 

社会人になってから留学したい!となると考えることが
たくさんありますよね。

 

これまで築いてきたキャリアや人間関係をすべて捨て、
ゼロから新しい場所でスタートすることになります。

 

不安に感じない人なんていません。

 

また学生さんであっても、
仲のいい友達と離れ1人で海外にいくことは
不安ですよね。

 

休学して留学に行く人は、
一人取り残されたと感じるかもしれません。

 

だけど間違いなく言える事が一つあります。

 

 

それは、

 

「あなたの知らない世界がそこにある。」

 

ということです。

実際私がシドニーに行って、
たくさん知らなかった事がありました。

 

自分がちっぽけな存在だな。と思う一方で、

でも恵まれた環境にいたんだな。とも思いました。

 

また自分の無力さに泣いた事もありました。

 

それもこれも全部、挑戦したから経験できたことです。

 

挑戦しなければ、ずっとあのモヤモヤを抱えたまま
ずっと日本にいて生活していたでしょう。

 

今もきっと夢や目標を持たずに生活しています。

 

 

そんな人生楽しくないですよね?

 

人生を楽しむためには挑戦がつきもの!

 

挑戦しても失敗はないんです。

 

それは失敗ではなく経験になるだけです。

 

たくさん経験をして豊かな人生を送りましょう!

 

このブログではおもに英語の勉強法や
オススメの英会話スクールなどの紹介をしていきます。

 

同時に留学中の話もお伝えしていこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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Profile

ともいま

ともいま

はじめまして☺ 30代フリーターのともいまと申します。 25歳でパニック障害、31歳で留学を経験しました。 現在、もう一度オーストラリアに戻り大学院留学のための準備をしています! このブログでは私が実践しているIELTS勉強法と、パニック障害を乗り越えた方法、夢を叶えるマインドについて発信していきます。 主な活動場所はTwitterです(*^^*)

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